ある新聞の記事に
畑村師は失敗学の提唱でしられる。事故や失敗の原因を分析し将来のために生かす学問だ、失敗の責任を追及するだけでなく、皆が失敗の知識を共有していく。それが創造的な社会を築く力になるからだ。
音作衛門これを読む、
そうよ・・・何でおんなじ失敗を、
どんな時にするか、自己分析をな。
演奏会前、あるいは自分がピンチになった時、いつも繰り返されるトラブルはいかに??
まあこれは、個人の場合だ。
低周波音症候群に至っては、どうか。
被害は全然知られていない
行政の窓口もない!
だからこそ、、、自分だけの苦しみをクリアするためとは違う、自他共に、もっと日本、さらに世界人類に、、、、、なんかせないかん
しかし何ができるか・・・わからん
ふ〜〜〜〜ん!
そうや団体交渉
でも、、、数がまだまだ少ない
音作としては、被害感覚はたしかに去年と今年では段違い。
耳の痛みも少なくなってきた。耳鳴りもない。
避難しただけのことはある。
ゴミの心配もできるとこまで来たよ。
つまり人間らしい生活は、できるようになったということや
でも・・・この低周波音被害に対して、なんとかせんといかんという思いは、失せてない。
忘れてへんぞ〜〜
加害者側は、きっと忘れているに違いない。
痛いことも痒いこともないのが加害者だ、それどころか営利をあげているんだからな
行政はもっとひどい、許可してトラブったら、人事が変わって無いに等しい。
音作は、まだまだ音楽も仕事も、昔のようにはいかん
地域に根ざした人間関係でも、ぜんぜんや
生きるということは、今まで確立した社会生活全般にわたって、そこそこ・・やれんと
被害者は今までの生活全般にわたって、すべてを根こそぎ引き倒される
次出たら大変や
逃げたらすむちゅうのも、おかしな話!
警鐘を鳴らし続けんといかんということやな