若くして日展に入選して
師匠の安原先生には随分可愛がられて
ただ『小器用なだけ』と自分のことをそう評価していました。
形式にも、権威にも不満を持っていました。
そして安原門下を出てしまいました。
先生が亡くなったときには、家人には連絡も来ず、同門の兄弟弟子には連絡があって・・・・
ようは破門ということだと
これが日展の作品です
うまい字でなければ、価値がないのか
手習いの修行では、芸術ではないといつも言われていました。
これが欲しいという方もおられるんですが、全部手放すと回顧展を開いた時に困るし、
かといって回顧展を開いたはいいが、来て下さる方に あまりに数が少ないと寂しいし、
どうしたものかと・・・
若い時の書なので、、、、
次に江口草玄先生のところの墨人会に走り
そこから斬新的な字に変化 変容して
亡くなる時には
まだまだ死ぬわけにはいかない
もっと生きて文字を書きたいと
最後もこの庭に帰ってきて
そして絶筆の写真を撮りました
まあ、奈良のお菓子ですか
なんて嬉しいことでしょう・・・・
どうやら私たちは、先生に呼ばれたようですね
叱られそうですね
遅かったじゃないかと
声を荒げて怒ることも、苛立った顔も見せない穏やかな人でした
いつもにこやかに
でも時間にだけはうるさかったわ