残酷な心について
同志社大学 良心学研究センター長 小原克博教授の話が
聖教新聞に掲載になって
ちょっと目に止まった
私は現代の対立の根底にあるのは
異質な他者をあぶり出そうとする文化装置ともいうべき
憎しみの文化だと考えています
もちろん人間も生物である以上
憎しみの感情や縄張りの意識を持つこと自体は
簡単に否定できません。
しかし同時に人間は自分が向けている憎しみが
正しい理由を持っているかのように
社会的に正当化します。
自分たちの価値観を理解できない人たちを
異質な他者としてレッテルを貼りをして、
暴力をも正当化するのです。
さらに日々、紛争や殺人といったニュースが大量に降りかかって来る情報化社会の中では、
そこに痛ましさを感じられないほど私たちの感覚が麻痺し、
無関心が増大している。
あの人たちは仕方ない存在なんだと理解してしまう。
そういった中で憎しみの文化が広がると、
もはや憎しみを持たないままに他者を排除し、
無関心のまま特定の集団を攻撃する社会になっていく。
ナチスのホロコーストを生んだのと同じような構造が、
私たちの時代にも潜んでいると言えるのです。
人間は本来、憎しみの感情や縄張り意識を持っているわけですが、
他の生物と違うのは、そういう性質を持つ人間という存在自体を
対象化してみる力を持ち合わせていることです。
だとするならば、人間が生み出した憎しみの文化を克服する知恵も
見つけ出せるのではないでしょうか